過去の投稿で、インタビュー中のメモのとりかたについて、「より良質な〈コンテンツ〉づくりをめざすのならば、〈手書き〉のほうが良い」と述べた。
そこではICレコーダーなどで〈録音〉する方法には、以下のデメリットがあることを指摘している。
- 相手の話を〈聞〉いてしまい、〈聴〉くことができない
- テープ起こしにコストがかかり過ぎる
今回は、前者の「相手の話を〈聞〉いてしまい、〈聴〉くことができない」点について、もう少しだけ詳しく述べてみる。
食べ物の好みを〈聞〉かずに〈聴〉くには?
まず、話をわかりやすくするために、こんなシチュエーションを考えてみよう。
Aさん・Bさん・Cさんに「食べ物の好み」を尋ねるとする。ただし、インタビューではなく、インタビューが始まる前のアイスブレイクなどの場面を想像してみる。
たとえば、こんな会話になるだろう。
自分「洋食と和食、どちらが好きですか?」
A「和食です」
B「私は洋食」
自分「私もどちらかといえば洋食ですね。Cさんは?」
C「ぼくは和食も洋食、どちらも好きですよ」
世間話として好みを尋ねるのは〈聞く〉行為といえる。こんな他愛もない会話を交わすのに、いちいちメモをとる必要はない(もちろん、「食べ物の好み」そのものがテーマのインタビューなら別だが)。
次に、こんな場面を想定してみる。
3種類のお弁当(洋風・和風・中華)が1つずつあり、それをAさん・Bさん・Cさんに渡す。誰にどのお弁当を食べてもらえばいいか? 3人に尋ねてみる。
自分「お弁当は洋風・和風・中華、どれがいいですか?」
A「和風が食べたいです」
B「強いていえば洋風ですが、こだわりません」
C「洋風です」
さて、3人にそれぞれどのお弁当を渡すのが正解だろう?
「引っかけ問題?」と訝るかもしれないが、いじわるクイズの類いではない。話は単純だ。
まずAさんには和風弁当を渡せばいいだろう。問題はBさんとCさん。
お弁当は各種類1つずつしかないのだから、「洋風」と答えたBさんとCさんの両方に洋風弁当を渡すことはできない。しかし、Bさんは「こだわりません」と言っているから、洋風はCさんに食べてもらい、Bさんには中華を渡す、という選択になる(もちろん「中華でもいいですか?」といちおうお伺いを立てるといったマナーは必要だろう)。
ここで言いたいことはなにか?
最初のアイスブレイクで食の好みを尋ねる場合は、相手の答えに対してあまり深く考えずに反応していけばいい。実際、日常会話では誰もがそのようにしているはず。
一方、お弁当を手配するために好みを質問する場合は、それぞれの回答を比較しながら最適解を見出すという、やや複雑なオペレーションが必要となる。
もっとも、3人のお弁当ぐらいなら、頭の中だけで完結できるかもしれない。でも、5人、10人となったら? 紙にそれぞれの好みを書きながら、案配する必要があるのではないか。
私たちは少し高度な思考力が必要となる局面では、頭で考えるだけでは完結させられず、紙に〈書く〉という行為が欠かせない。
前述の〈聞く〉とは異なり、〈聴く〉は高度な思考力をともなう行為のこと。
インタビュー中のメモのとりかたにも同じことがいえる。
論理展開を〈聴く〉には〈書く〉しかない
「お弁当のたとえでは実感がつかめない」なら、もう少しインタビューに近いシチュエーションを想定してみる。
たとえば、インタビュイー(インタビューの相手)が次のように語り始めたとする。
「大切なのは〈3つの袋〉です。まず1つ目が〈給料袋〉……」
やがて〈1つ目の袋〉の話が終わり、〈2つ目の袋〉へと進んでいくが、〈3つ目の袋〉について話さずに別の話題に変わってしまった、と仮定する。
録音をしているからと、メモをとらずに〈聞〉いているだけだと、最初に「3つ」と言っていたのに2つしか話していないことには気づかないかもしれない。
「〈3つの袋〉です」と言ったときは「お、3つあるんだな」と思っても、その記憶は話を〈聞〉いているうちに消えてしまう。「いつ3つ目を話すのかな?」と思いながら、同時に〈袋〉の内容そのものに耳を傾けることなど、多くの人にとって不可能だからだ。
そのまま〈3つ目〉に触れることなくインタビューを終えてしまったら、取り返しのつかないことになる。あとで録音を聞き直したときに「あ、3つ目を忘れている!」と気づいても後の祭り(後日、メールや電話などで再取材をする手もあるが、多少なりとも信頼は損なってしまうだろう)。
一方、メモを〈書〉いていたらどうか。
「大切なのは〈3つの袋〉です。まず1つ目が〈給料袋〉……」と〈聴〉いたところで、次のようにメモをするはずだ。
そして、〈2つ目の袋〉の話が始まったら、次のように〈書〉くだろう。
ここでのポイントは、「①」「②」と数字を付していること。なぜこうしているのか? それはインタビューをしながら、頭の中で次のようなプロセスが働いているからだ。
「大切なのは〈3つの袋〉です。まず1つ目が〈給料袋〉……」という話を聞いたとき、頭の中では「〈3つの袋〉の具体例として『給料袋』を挙げているのだな」と考える(あたりまえだ)。
「給料袋」の話が終わり、〈2つ目の袋〉である「堪忍袋」の話が始まれば、「これは『給料袋』と並列関係にある項目だな」という意識が働くので、「給料袋」と同じように丸数字を付すことになる。
つまり、「〈3つの袋〉という大項目に対し『給料袋』『堪忍袋』という小項目がある」という論理展開をメモに反映させているのだ。
論理展開が見えていると、「この『堪忍袋』は2つめの小項目だな。だから、この話が終わったら、次は3つ目の『袋』について話してくれるんだな」と自然に考えることができる。〈3つ目〉について触れずに別の話題になったところで、「あれ、3つ目は?」という疑問が自然に湧きあがるのだ。
〈書〉いていれば質問を深堀りできる
実際のインタビューの現場では、あらかじめ「大切なことは3つあります」と宣言できるほど頭が整理されている相手なら、3つ目を話し忘れることはあまりないかもしれない。
よくあるのは「大切なことはいくつかあって、たとえば……」とあまり考えがまとまっていない場合。その時点では、「大切なこと」が正確にいくつかあるのか本人にもわからないのだ。
メモを〈書〉いていれば、「いま○○○と●●●、それに△△△が大切だとおっしゃいました。ほかにありませんか?」と一歩踏み込んだ質問ができる。すると、相手の頭の中で
大切なこと
1.○○○
2.●●●
3.△△△
というように論理が整理され、それをきっかけにして、「4つ目」「5つ目」の「大切なこと」が思い浮かぶ可能性があるのだ。
これも話を〈聞く〉のではなく〈聴く〉ことのメリットといえる。
上記のような論理展開が見えていれば、たとえば「あれ? ●●●と△△△って同じこと言ってない?」などとその場で疑問を持てる。そうなれば「●●●と△△△は似ていますが、どう違うのですか?」などと踏み込んだ質問ができるわけだ。
〈書〉かずに相手の声を〈聞〉いているだけでは、ここまで思考力を働かせるのは難しいのではないだろうか。
知的作業には〈書く〉が不可欠
企業コンサルタントの山口周さんは、著書『外資系コンサルの知的生産術』でこんな例を挙げている。
かつて昭和の時代に放映されていた日本船舶振興会のテレビCMで、こんなメッセージが流れていた。
世界は一家、人類みな兄弟
戸締り用心、火の用心
この2つが矛盾していることがおわかりだろうか? 「世界は一家」なら「戸締り」は必要ないはず。その点に矛盾があるわけだ。
音声で聞き流していると矛盾に気づかないのに、視覚化するとすぐに気がつく、という点がポイント。
山口さんはこの点について「脳科学の専門家ではないので、詳しいことはわかりませんが」と断ったうえでこう述べている。
脳の稼働率(というのも変ですが)を最大限高めるためにも「音声処理」と「視覚処理」の両方を用いた方がいいのではないか
山口さんは、考えるためにはとにかく書いてみることが重要だと説く。
「考える」という作業を、脳内で完結する純粋に理知的な作業だと思っている人が多いのですが、知的生産におけるプロセッシングのほとんどは手を介して行われます。
山口さんの述べているのは、あくまでコンサルティングの作業についてで、コンテンツ制作のためのインタビューとは厳密には同じではないかもしれない。しかし、「知的作業」という点では通ずる点もまた多いはず。
〈書く〉という行為によらないインタビュー、つまり話を〈録音〉する方法では、知的作業としてのパフォーマンスは低下してしまう、といえるのではないか。少なくとも私の実感ではそうだ。
私がインタビュー中のメモを〈書く〉のは、そこに理由がある。
この記事へのコメントはありません。