検索エンジンの次に来るモノは?

「検索エンジンの次に来るモノは?」というタイトルですが、本記事はその〈問題〉を解決するものではありません

「ふざけるな!」とお怒りの方もいるかもしれません。しかし、そこにコトの〈本質〉があると思うのです。「検索エンジンの次に来るモノ」のヒントが……。

検索エンジンは〈問題解決〉のツールである

そもそも〈検索エンジン〉とはなんでしょう?

検索窓にキーワードを打ち込むとサイトの一覧が表示されるサービス。もう少しくわしくいえば、検索窓に〈問題〉を入力すると、その〈問題〉に対する〈解決策〉を得られるサイトが表示されるサービスです(最近では、検索エンジンそのものが〈解決策〉を示す場合もありますね)

みなさんもご存じのとおり、いまのインターネットでは、ユーザーの〈問題〉に対して〈解決策〉を与えるサイトが主流となっています。説明するまでもありませんが、いちおう確認すれば、そのようなサイトが検索エンジンで上位に表示され、経済的な利益も大きいため、いわば“市場の原理”によって、いまの状況が生まれているわけです。

ただし、あくまで“いまのところは”であって、今後はこの状況が変わっていく可能性が高いのです。

独立研究者・著作家の山口周さんは、著書『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)で次のように述べています。

私たちは人類史の中で初めて「問題が希少で解決策が過剰」という時代に突入しつつあります。

これまで社会では「問題解決」の能力が求められてきました。しかし、物質的なニーズや不満がほぼ解消されてしまった現在、〈問題〉を解決する能力の価値は低下しはじめています。

そう考えると、いまインターネットにあふれている〈問題解決〉のサイトの価値は下がっていくことが予想されます。もちろん、〈問題解決〉サイトのニーズがゼロになるのではなく、一定の分野(健康やお金・法律などの疑問や悩みに答えるようなもの)は残るでしょう。ただ、いまよりは相対的に価値が下がるということです。

そして、そうなれば、必然的に検索エンジンの有用性もいまよりは下がっていくことになります。検索エンジンの“王者”であるGoogleが衰退するか、あるいはGoogleが検索エンジンに代わるサービスを打ち出してくるのは容易に予想できます(現在もGoogleが提供するサービスは検索エンジンだけではありませんが)

では、山口さんの言うように、〈解決策〉が過剰な時代に求められる能力とはなんでしょう? それは〈問題〉を発見する能力だといいます。

誰も気づいていない問題を見出し、経済的な枠組みの中で解消する仕組みを提起する「課題設定者=アジェンダシェイパー」が、ニュータイプとして大きな価値を生むことになるでしょう。

これをインターネットに敷延すると、これまでの〈問題解決〉サイト、およびそれを集めた検索エンジンの価値は下がり、〈問題〉を発見するサイトやサービスが求められていくことになります。それこそが、「検索エンジンの次に来るモノ」となるわけです。

〈問題〉とは〈理想〉と〈現実〉のギャップ

とはいうものの、「検索エンジンの次に来るモノ」になり得る「〈問題〉を発見するサイトやサービス」とは、具体的にどんなものなのでしょう?

それがわかれば、ひと財産築けそうですが、それがなんなのかは少なくとも私の頭のなかにはありません。しかしながら、論理的に考えていくことで、漠然としたイメージ図は描けそうです。

そもそも〈問題〉とはなんでしょうか? 〈問題〉とは「〈理想〉と〈現実〉の乖離ギャップと定義できます。

私たちはふだんから「それが問題だ」と言ったりします。たとえば、「部屋が散らかっているのが〈問題〉」なのは、「部屋が片づいている」のが〈理想〉だけど〈現実〉がそうなっていないからだし、「売り上げが下がっているのが〈問題〉」は、「売り上げが上がる」という〈理想〉に対し「下がっている」という〈現実〉を指しています。

そうなると、「〈問題〉を発見するサイトやサービス」とは「〈理想〉と〈現実〉のギャップを見つけてそれを示すモノ」「〈理想〉と〈現実〉のギャップを見つける助けとなるモノ」ということになります。

では、「〈理想〉と〈現実〉のギャップ」はどう見つければいいのでしょう? それは「〈現実〉を正しく認識し、〈理想〉とする状態とすり合わせる」ことです。

これをインターネットのサイトやサービスにあてはめてみましょう。

まず、「〈現実〉を正しく認識」するために「こういう〈現実〉がありますよ」と提示するサイトやサービスが考えられます。たとえば、政府や公共団体、あるいは企業が発表している各種レポートや調査報告を得られるサイトがそれに該当するでしょう。ただ、そういったサイトは現に存在していますから、ここで考えている「検索エンジンの次に来るモノ」とは言いがたい。

注目すべきは、「〈理想〉とする状態」を示すサイトやサービスです。それこそがこれからの時代に価値の高まるものであり、「検索エンジンの次に来るモノ」だと予想できます。

ニュースは〈問題〉を見つけていない

ここで少し脇道にそれますが、ここまでお読みの方は、次のような疑問が頭に浮かぶかもしれません。

「〈問題〉を発見するサイトやサービス」ならすでにあるじゃないか。ニュースサイトや個人のブログ・SNSだって、毎日のように〈問題〉を指摘しているぞ?

たしかに、ニュースサイトは、社会で起こった出来事(現実)のなかから〈問題〉と思われるモノを読み手に伝えている。そう考えることもできます。

しかしながら、ここで〈問題〉の定義を思い出してください。

〈理想〉と〈現実〉のギャップ

じつは、一般のニュースサイトやブログ・SNSで〈問題〉としているモノのほとんどは、〈現実〉ではあるかもしれませんが〈理想〉の視点が欠けているのです。あるいは、あるけれどそれがわかりにくかったり、〈問題〉と〈理想〉の関係が論理的でなかったりする。つまり、ほんとうの意味で〈問題〉ではないのです。

これは、いまの世のなかに〈理想〉が不足しているからで、だからこそ〈理想〉を示すサイト・サービスが重要であるといえます。

iPhoneは〈問題〉と〈解決策〉のセット

では、〈理想〉をユーザーに提供するサイトやサービスとはどんなものでしょう? 前述のとおり、それがわかれば大富豪になれるわけですが、インターネットのサイトやサービスだとイメージしづらいかもしれないので、製品(プロダクト)の例を考えてみましょう。

そうなると、まず頭に浮かぶのがiPhone(スマートフォン)です。

この世にある多くの製品は、〈問題〉に対する〈解決策〉として生み出されています。たとえば、住宅は雨風をしのぎたいという〈問題〉に対する〈解決策〉だし、頭痛薬は頭が痛いという〈問題〉に対する〈解決策〉です。

ところが、iPhoneはなんらかの〈問題〉に対する〈解決策〉にはなっていないのです。いまでこそ、スマホは私たちの生活や仕事に浸透しているので、あるとき突然つかえなくなったら困り果ててしまうでしょう。けれども、最初からこの世に存在していなかったとしたら、それはそれでとくに困るようなことはなかったはずです。

iPhoneは強いて言うなら、「iPhoneを使いこなしている生活」が〈理想〉であることを示し、「iPhoneがない」という〈現実〉を〈問題〉とします。そして、その〈解決策〉としてiPhoneを私たちに提示しているといえます。

そう考えると、Googleの検索エンジンもじつはインターネットにおける“iPhone”とみなせます。検索エンジンの機能そのものは〈解決策〉の提示ですが、「検索して解決できる」という〈理想〉をユーザーに提供しているサービスと考えることができます。検索エンジンも私たちはいまそこに存在するから使っているだけで、もしこの世になかったのなら、それはそれでなんとかなっていたでしょう。

ようするに、GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)と呼ばれる企業は私たちに〈理想〉を提示している。だからこそ、企業の価値も高い(=儲かっている)わけです。

もっとも、これらの企業は〈理想〉と〈解決策〉をセットで提供しているため、うがった見方をすれば、私たちは〈理想〉を押しつけられているだけなのかもしれません。GAFAの功罪についてはあらためて検証する必要はあるでしょう。

フィクションが〈理想〉を提示する?

〈理想〉をつくり提示することは、GAFAのような大企業(それも世界トップクラスの)でないと無理なのでしょうか? 「現状そうなっている」ことは「そうでなくてはならない」ことを意味しません。GAFAクラスの企業でないと〈理想〉が示せないなんてことはないはずです。

では、日本の大企業・中小企業、あるいは個人のレベルでできる、〈理想〉の創造と提示を行なうサイト・サービスとは?

しつこいようですが、それがわかったら億万長者——なのですが、「もしかしたら……」「ひょっとすると……」と頭に浮かぶのが、フィクションや娯楽作品を提供するコンテンツです。

たとえば、私はこちらで〈天国アニメ〉という概念を提唱しています。いわば〈理想〉だけしか存在しない世界を描く作品です。もちろん、これらはあまりにも現実世界とかけはなれた虚構フィクションですから、私たちの生活に役立つようなサービスにはなりにくい(観て楽しいという効用はありますが)。そもそもこれらの作品は「〈理想〉を描く」目的でつくられたわけではありません(私が勝手にそういう作品だと解釈しているだけですので)

ただ、虚構世界を描くというプロセスをインターネットのコンテンツとしてチューニングすることで、検索エンジンの代わりにはならないまでも、〈理想〉を提示し〈問題〉を発見するモノとして価値は高まっていくのではないか。そんな漠然とした予感があります。

そもそも〈理想〉は虚構であり、虚構だからこそ〈理想〉ともいえます。

そもそもコンテンツそれ自体は〈解決策〉にならなくていいのです。求められているのは〈問題〉の発見であり、それを見つけるための〈理想〉なのですから。

「検索エンジンの次に来るモノは?」

本記事でその〈解決策〉は示せませんが、少なくともそういう〈問題〉があることは発見できたといえるのではないでしょうか。

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  1. 生涯現役のライターをめざすならノートと鉛筆を使おう

コメント

  1. 非常に興味深かったです。
    答えではなく理想を提示する。お料理や使い方などのハウツー、is何?、YES/NOあたりの答えは解決策として提示して欲しいですが、一方メディアの批判だけの発信は「現実(国家予算や過去の事実など)」と「理想(あるべき政策の姿)」などを一緒に提示してくれるといいですね。
    もっとこのお話は深く聞きたいです。

      • 米田政行
      • 2020年 4月 15日 7:11am

      批判は大いにすべきなのですが、そこにどんな〈現実〉や〈理想〉が含まれているのか。それが明確でないと、批判することそのものが目的に見えてしまいますね。むしろ批判しているところの“現実”それ自体が、発言者にとっての“理想”になってしまっているのではないか、と疑ってしまうこともあります。

      このたびはコメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

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