「フリーランスはサラリーマンの倍は稼がなければならない」と言われます。でも、「フリーランスって、お金はあまり必要ないのかも」という仮説(テーゼ)が頭に浮かんだので、今回はその思索をまとめてみます。
この記事の内容
なぜフリーランスは〈お金〉がたくさん必要?
「フリーランスはサラリーマンの倍は稼がなければならない」とする説の根拠のひとつは〈経済的不安定性〉でしょう。乱暴にいえば、サラリーマンなら1か月ボーッと過ごしても、月末に給料が振り込まれる。しかし、フリーランスは実際に仕事をして成果を上げなければ報酬を得られない。そもそも仕事が安定的にあるとは限らない。仕事をしてもクライアントから報酬が支払われないことさえある。さまざまなリスクに備えるには、お金はたくさんあったほうがいい、というわけです。
もうひとつの根拠は、税金や資金でしょうか。サラリーマンなら、銀行口座に振り込まれたお金はそのまま使えますが、フリーランスは振り込まれたお金のなかから、税金を払わなければならない。仕事によっては、事業を続けるための資金を確保する必要もあります。
これらは理にかなったもので、もちろん否定はできません。ただ、そこには「サラリーマンとおなじ生活を送るには」という前提がある気がします。その前提を疑うなら、じつは巷で考えられているほど、フリーランスにお金は必要ない、と思うのです。
フリーランスは〈人生〉に自由であるはず
〈フリーランス)の「フリー(自由)」とはどういう意味でしょう? なにから「自由」なのか。
サラリーマンは会社と雇用契約を結んでいます。この契約は安定的な〈お金〉を保証する代わりに仕事に対する「自由」を制限します。一方、フリーランスは、会社と緩やかな契約を結びますが、〈お金〉の保証は限定的です。その代わり、サラリーマンより仕事に対して「自由」があります。
〈フリーランス〉の「フリー(自由)」とは、〈仕事〉に対して「自由」であると考えられます。
しかし、もっと視野を広げれば、フリーランスはサラリーマンよりも〈人生〉に対して「自由」であるといえます。この点について、もう少し考えてみましょう。
フリーランスは〈仕事〉と〈人生〉を融合させられる
サラリーマンが仕事をする目的はなんでしょう? いろいろな答えがあるとは思いますが、とどのつまり〈お金〉を得るためでしょう。私自身が数か月前までサラリーマンだったので、その考えは骨の髄まで染みついています。もし〈お金〉を得られないとしたら、その仕事をしているでしょうか? 「サラリー(給料)マン」というコトバの意味を考えても、それはあり得ないでしょう。
「え? フリーランスもおなじでしょ? 〈お金〉のために仕事をしているんでしょ?」
そう思う人もたくさんいるはず。いや、実際、私も最近までその考えに疑いを持っていませんでした。
なぜ〈お金〉を得る必要があるのか? 単純にいえば「生活のため」でしょう。その答えの根底には「〈仕事〉と〈生活〉は別のモノ」という意識があります。
「ワーク・ライフ・バランス」というコトバはすでに社会に定着しています。解釈はさまざまですが、「ワーク(仕事)」だけでなく「ライフ(生活)」もバランスよく充実させていく点は共通しているでしょう。
〈ワーク〉と〈ライフ〉のバランスをとるのは、〈ワーク〉と〈ライフ〉は別のモノであることが前提となるはずです。これまで〈ワーク〉に偏りがちだったのを〈ライフ〉にも目を向けようとするのは、両者をはっきり区別していないと成り立たない話です。
そして、この「ワーク・ライフ・バランス」は、サラリーマンにしか有効でないことにお気づきかと思います。
「え? フリーランスも〈ワーク〉と〈ライフ〉のバランスが大事なのでは? 仕事のしすぎはよくないでしょ?」
と思う人は、善し悪しはともかく、典型的なサラリーマンの思考から抜け出せていません——“フリーランス1年生”の私が偉そうに言う資格はないかもしれませんが。
先に述べたように、「〈人生〉に対して「自由」である」ということは、〈人生〉をみずからが「自由」にデザインできる。それこそがフリーランスの最大のメリットのはずです。逆にいえば、〈人生〉を自分で自由にデザインしないのであれば、フリーランスをやる意味はないわけです。
〈人生〉を自分でデザインできるなら、〈ワーク〉と〈ライフ〉を融合させることもできるはず——というより、融合させるべきなのです。
逆に、〈ワーク〉と〈ライフ〉が別のモノと考えるならば、〈ワーク〉で得た〈お金〉を〈ライフ〉のために使う、あるいは〈ライフ〉のために〈ワーク)を行なう。そんな発想になると思います。それがすなわちサラリーマン的な思考ということになります。
手段としての〈お金〉は少なくて済む
そもそも〈お金〉とはなにか? これも人によって答えは変わるでしょうが、私は〈人生〉を充実させるための道具(ツール)であると考えています。つまり、〈人生〉の充実という「目的」に対する「手段」です。
ということは、〈お金〉とは別の手段で〈人生〉を充実させられるのならば、その手段としての〈お金〉は必要ないことになります。
事業家の山口揚平氏は『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』(プレジデント社)のなかで、「21世紀は個人がお金の代わりになるような信用を創る時代である」と述べ、〈お金〉の重要性が低下していくと語っています。
わざわざ店舗まで行き、お金を払ってモノやサービスを手に入れる必要が日に日に薄れている。あえて実店舗で買う必要があるのは生活必需品だけ。欠かせないものは交通機関くらいで、中央銀行通貨を介さずに互いに価値を交換する度合いが急激に高まっているのだ。
先に、「〈ワーク〉で得た〈お金〉を〈ライフ〉のために使う」と述べましたが、〈ライフ〉に使うとはどういうことでしょう? ひとつは、山口氏の言うように「生活必需品」つまり「生命維持に必要なモノ」を買うことでしょう。それほかに〈ライフ〉で必要になりそうなのは、趣味や娯楽に使う〈お金〉になるかと思います。
しかし、〈ワーク〉と〈ライフ〉を融合してしまえば、その趣味や娯楽は〈ワーク〉に組み込まれていくはずですから、「〈ワーク〉で得た〈お金〉を〈ライフ〉のために使う」という話は成り立たなくなります。
そうなると、ほんとうに必要な〈お金〉の量は、私たちが考えているよりも少なくてすむはずなのです。
そもそも、〈お金〉を「手段」ではなく「目的」にしまう愚は、みなさんもよく理解しているでしょう。〈お金〉をいっぱい稼いでいるけど、まったく幸せそうでない人はたくさんいます。〈お金〉は必ずしも人を幸福にしないのです。
〈お金〉で買えないモノに目を向ける
フリーランスは〈お金〉を得ることを目的とするのではなく、むしろ〈お金〉で買えないモノ、あるいは〈お金〉の代わりに失っているモノにもっと目を向けるべきかもしれません。
前述の山口氏は「〈お金〉で買えないモノ」の例として「信用」を挙げています。フリーランスとしての〈知見〉や〈専門的なスキル〉なども、〈お金〉では得られないモノの典型でしょう。
また、「〈お金〉の代わりに失っているモノ」はなにかと考えると、それは〈時間〉かもしれません。
サラリーマンは、みずからの〈時間〉を〈お金〉に交換して生きているといえます。〈時間〉とは〈寿命〉、すなわち〈命〉のことです。まさに〈命〉を削って〈お金〉を得ている。そのしくみは(雇用契約を結んでいる以上)サラリーマンの宿命ですから、変えることは不可能です。
フリーランスのなかにも、日々仕事に追われている人もいるでしょう。その結果、〈お金〉をたくさん得ているかもしれない。けれども、それは〈命〉を〈お金〉に変えているのかも。フリーランスはサラリーマンのように「〈命〉を犠牲にして仕事をする」ことが求められているわけではありません——というより、そういう働き方をしているなら改めるべきなのでしょう。
ここまで述べてきたのは、あくまで〈フリーランス〉の生き方のひとつでしかありません——というより、フリーランスは(もしかするとサラリーマンも)型にはまらず多様な生き方を模索することがこれからの時代に求められているともいえます。
また、たくさん〈お金〉があるからこそ実現できるコトもたくさんあるでしょう。〈お金〉とはなにか? という根本的な問題はこれからも追究していく必要はあります
さらには、「〈お金〉は少なくてよい」という理由で、富みの偏りといった政策・社会システムの問題に目をつぶるのも、社会人の態度ではないと考えます。むしろ、フリーランスとして徹底的に追及していくべきでしょう。
結局のところ、コトの本質は〈お金〉の多寡ではなく、「〈お金〉はあくまで手段であり、目的にしてはならない」という当たり前の真実を今回は確認しただけなのかもしれません。でも、サラリーマン時代にはそこまで考えがいたらなかった(考えても意味がなかった)のも事実です。
初心を忘れず、当たり前のことを当たり前としてフリーランス活動をつづけていきたいものです。
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