〈〜まである〉は いずれ公的な文書でも使われる?

インターネットの世界でしばしば〈~まである〉という表現を目にする。仮定の状況を引きあいに出して自分の主張や気持ちを強調するものだ。「このホラーは怖い。恐怖のあまり死人が出るまである」などと書く。2010年ごろから使われているそうだが、ボクが気になりはじめたのは最近だ。

〈~まである〉を言いかえるとすれば、どうなるか?「死人が出るかもしれないとさえいえる」「死人が出るところまでいくだろう」のように、文字数を多く費やさないといけない。その意味で〈~まである〉はじつに“リーズナブル”だ。いまはまだネット上でくだけた表現として使われるだけだが、将来は公的な文書でも用いられるかもしれない。

まだ一般に受けいれられている表現とはいえないので、ボクは仕事では書かない。では、仕事ではない――たとえばここで書いているようなお遊びの文章では? やはりためらってしまう。自分の考えや感情をうまくコトバで表現できないのをごまかすために〈~まである〉ととりあえず書いている。そんな気がしてくる。

キミも知ってのとおり、ここでははふざけたことも書いているが、コトバに対してはかなり保守的なんだ。


Gyahun工房がつくるZINE『Gyahun(ぎゃふん)』

この記事は、『Gyahun⑭ コトバ放浪記』に掲載された内容を再構成したものです。

もし『Gyahun(ぎゃふん)』にご興味をお持ちになりましたら、ぜひオフィシャル・サイトをご覧ください。

関連記事

  1. 相手と“会話”せずにインタビューする方法

  2. 〈○○監督〉〈△△選手〉はある 〈□□ライター〉はない

  3. ゴールイメージが大切

    インタビューの準備で重要なのは〈情報収集〉より〈完成イメージ〉

  4. 〈憶えてくれていた〉と〈憶えていてくれた〉の違いがわかりますか?

  5. 〈今年の目標〉は自分が「なりたい状態」を考える

  6. 手書きと録音の合わせ技

    インタビューのメモは〈手書き〉と〈録音〉の合わせ技が最強?

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


このブログは…?

フリーライターのユニット〈Gyahun工房〉がこれまでの経験から得た知見、日ごろ考えていることなどを語っていきます。

特集

アーカイブ